私たちの海でお会いしましょう

スピリチュアルを取り入れて生きてみる実験中。

光を編む

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こういうスピリチュアル的なことを学んでいると

一体自分は地球に何しに来たんだろうなと思うようになると思う。

私もそうだ。

何度かにわたって聞いてみている。

小さいミッションもあるっぽいが大枠がある。

 

まず1つ。

地球に降り立ち 生きるということ。

「それだけで目的達成だと思っていい」と言っていた。

主には経験をするってことなんだとおもうけれど、

私がいわれたのは光を降ろすってこと。

降り立つとその人をめがけて、光が降ろせるようになるらしい。

そしてそれは地球へと届いていくようだ。

本人が見えない世界に気が付くと受け取り流す光の量も増すのかなと思う。

 

そしてもう一つ。

「生きているだけで十分ですが、

私たちはあなたが"自分にはなにができるか”という意味で

聞かれているということも理解しています。」

この部分がおまけ的な意味で個人個人設定してきたものだろうか。

私の場合、

「光を編み込むこと。愛と調和のエッセンスを織り込むこと。方法は問いません。」

的なことを言われた。

こうやって文字にするとなにやら抽象度が高いが

私は「ああなるほど」と思った。

方法は問わない。

何かを作るとき、人に言葉をかけるとき、こうやって文字にするとき。

そこに私が受け取ったエッセンスを編むようにすればいい。

それってどうやるのといわれても そうしているとしか言えない。

このブログも始めたのは自分のためだが、やっぱり編み込んでいるように思う。

編み込み、届け、震わすという感じだ。

なぜ編むのか。そのまま届けるのもありだけど、

編み込むとそれを受け取った人が

その人の中で「体験する」からって気がする。

これは私が編み込んだエッセンスそのままである必要はなく

その人の中のそのエッセンスと共鳴する部分が体感されたらいいって感じだ。

 

他の人にはどういうこと?となることが

うっかり使命的な自分の特性だったりするんだろう。

気になったら聞いてみるといい。誰でもなく自分やハイヤーに。

え?そんなことでいいの?みたいな

うっかりやってるようなことな気がする。

こんなことやって意味あるのってことかもしれない。

 

経験しにきてるから、

だいたい意味や結果なんて求めちゃいないみたいだ。

やりたいと思ったことをやると経験は完了。

そこからさらに試行錯誤したいと思ったらやってみて経験は完了。

トップに立ちたいと思って試行錯誤を重ねてみる 経験は完了。

もちろん優勝してばーんと感動の経験をしたり

がくーんと落ち込んだ経験をしたり

どれもすごくいい経験したなーって感じなんだろう。

がくーんと落ち込んでそこからもう一度

どのように立ち直るかなんてめちゃくちゃ難易度高くて

ばーんと優勝してみたあとはそっちもやってみるのかもしれない。

 

意味なんてない。好きなことをしてみるといい。

言葉にすると投げやりのようだけれど

それって限りなく自由にも思える。